アムネシアのリコ(6)
  第一章 ザ・ファースト・タイム

     1

 誰かが俺を呼んでいる。

 目の前に写る光景は、昔何度もうなされた、『あの夢』と同じだった。
 大きな炎が、目の前にあり、目下には人の亡き骸が転がっている。それは昔見た夢と同じ状況であって、だからこそその亡き骸の名前が、俺にはわかった。

『お兄ちゃん……、何で私は助けてくれなかったの……』と、その亡き骸は俺に訴える。

 久しぶりに見るその亡き骸は、俺の妹 『二海晶子』のものだ。俺が中学生の時、目の前で交通事故に遭った妹を、俺は助けることができずに、呆然と立ち尽くしていた。
 夢はいつも、妹が車に轢かれる瞬間に始まる。夢を見初めた頃は何度も助けれない事がわかっていても、何度も助けようと思い、その度に絶望した。

 俺にとって妹は、家族の中で一番信頼できる存在で、一番の友人だった。
 昔から、親の転勤で転校ばかりしていた俺は、仲良くなった友達をすぐ失うという事を繰り返した。それだけが原因かはわからないけれど、俺には親友と呼べる存在はいない。

 だから、妹を失った瞬間に、俺はすべてを失って、すべてに絶望したんだ。

『お兄ちゃん、どうして私は助けてくれなかったの……』と、妹が泣きぐずった声で呟く。
『ごめん……俺がふがいないから、助けてやれなかったんだ……』

 周りの色が赤い炎の色に染まり、次第に妹の声は聞こえなくなっていく。
 そして、夢の終わりを告げるかの様に、辺りの光は力を失い、すべては闇に消えていった。

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thema:自作連載小説 - genre:小説・文学


アムネシアのリコ(7)
     2

 ベッドに横になっていた佑介は、薄らと目を開いた。少しくすんだ茶色の天井や、ふんわりと香る何かの匂い。そして、ベッドが一部屋に四台もあるのを見て、佑介はふと考える

「もしかして俺、入院してる?」 と、周りから見たらおかしな子と思われるような発言をした。
 窓は真っ白いカーテンで遮られ、光はわずかにカーテンの隙間から漏れている。そのわずかな光だけが、部屋の中をオレンジがかった色に染め上げている。

 そのオレンジ色を見て佑介はある事に気がついた。

 佑介は慌てて携帯をポケットから取り出そうとするが、入っていない。よく探すと、財布も鍵も、持ち物全てが無い事がわかった。しかし、佑介の頭の中にはアルバイト先の事が一杯になっていた。時計をしていない佑介は、陽の具合から夕方の4時から5時くらいだろうと思った。お昼の時間帯が終わって、今は夜の準備をしているところだろうか。

(早く誰かを呼ばないと) テレビでよく見る『ナースコール』がベッドのどこかにあるはずと思い、枕元をごそごそと探した。すると、若い看護婦が病室に現れた。

「二海さん、どうかされましたか?」と、看護婦はベッドに駆け寄った。年齢は二十代前半で、黒髪をポニーテールに纏めている。
「いや、あのナースコールを探していて……」と、佑介は説明した。
「ナースコール? 何か用事ですか?」 落ち着き払った看護婦は首をかしげた。
「えぇっと、僕の携帯電話って今どこにあるかわかりますか?」

 看護婦さんを呼んで携帯電話がどこかと聞くのはおかしな気がするが、今の佑介にはそれどころじゃなかった。バイト先に遅刻するといっておきながら、4、5時間音沙汰なしっていうのは、とても不味いんじゃないだろうか、と佑介は思う。

「ああ、それなら検査のときに預からせてもらってるわよ、貴重品も含めてね」
「あのー、今すぐに返してもらえたりってできますか? すぐにでも連絡しなければいけない所があって、それで……」「それってもしかして、『喫茶加藤』?」

 看護婦の口から飛び出した思いがけない言葉に、佑介は驚いた。
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アムネシアのリコ(8)
(知っている理由はわからないけど、『加藤食堂』に今すぐ、本当に今すぐ電話しないと……)

「それだったら、何度もかかってきて五月蝿かったから、私が受けておいたわよ? 今から七雲総合病院で入院しますので少々お待ちくださいっ、て言ったわ。もしかして駄目だった?」
「―――――、ああ、ええっと、何て言えば良いのか……」

 予想できない看護婦の発言に、佑介は何秒か思考停止してしまう。連絡しておいてくれた、という事なのだろうか……。

「うーん説明が足りなかったか、実を言うと私、君のバイト先『喫茶加藤』の店長の娘、『加藤優貴菜』って言うんだよね」 またも思わぬ言葉が看護婦の口から現れた。

(店長の……娘?)

「事情は親父にしっかり説明しといたから大丈夫、多分。どうよ、納得した?」
「はぁ、そうですか…………多少は納得しました」 佑介は呆然としながら答える。

 多分、という言葉が非常に気になった佑介だったが、敢えて言わなかった。どのみち電話で何を話したところで、あっさり信用してもらう事はできない、と思ったからだ。

「何俯いてるのよ、大丈夫よ。人の命助けられる子を、親父は見捨てたりしないって」
「――えっと、あれ……人の命って、あれ? 何か、大切な事を忘れて、いる様な……」

 頭の奥で何かが引っかかっている。その違和感のせいで、あと少しの何かが出てこない。

「もしかして忘れてるわけ? まあ無理ないか。君も頭を強く打ったわけだし」

(頭を打った……ここに来る前は、店の前で車がいっぱいで……思い切って飛び出して、そうしたら後ろでクラクションが……それで轢かれそう少女が)

「あの女の子はっ、あの女の子は大丈夫なんでッテ、イテテテテ……」急に頭を痛みが襲う。
「ちょっと、君も一応ここの病院に入院しているんだから。もう少し気をつけて」
「いたた、すいません……加藤さん、君もっていう事は、彼女も入院してるんですか?」
 加藤は佑介の激しい食いつきに、やれやれ、という表情をするが。にこりと笑い、
「ええ、彼女も入院しているから安心しなさい。あなたは彼女の命の恩人なんだから、もっと誇らしげにしてなさいよ」
「入院しているって事は、無事だったんですね……よかったです……」

 それを聞いた佑介は、安堵の声を漏らした。が、優貴奈は何か不満げそうな顔だ。

「君さ、自分の容態については気にならないわけ?」「あ、特には気にならないです……」
「まあいっか、実際大した事ない怪我だし……後、私の事は『優貴菜』って呼んでもらえる?」
「あ、はい……優貴菜さんでいいですか?」
「君十七歳なんでしょ? もっと若々しくはしゃいだりしないの? 辛気臭くなっちゃって」
「はい、すいません。若くないってよく言われます……それで、すぐにでも会えるんですか?」

 佑介がそう言うと、ゆきなはチッチッチッと言いながら指を左右に振った。

「それはちょっとできないんだよね? あの子はまだ検査中。君は明日から診察、以上!」
「さすがにまだ無理ですよね……」と言って佑介はため息をついた。
「まあ明日の朝の検査をしっかりと受けるために、今日はゆっくりしてなさい。そうしたら明日か明後日には、必ずあなたに会わせてあげる。約束するわ!」

 そう言って、優貴菜は病室から出て行った。
 急に静かになる病室。カーテンの隙間から窓の外を見ると、もう真っ暗になっている。

「この時期にいきなり事故とかに遭う奴ってどれだけいるんだろ……」と佑介は呟いた。
 夏休みの初日に羽目を外して、気の緩んだ所で交通事故に遭う。これじゃあ小学生と一緒だ。
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アムネシアのリコ(9)
 そんな事を考えていると、いつの間にか夕食の時間になった。現れた病院食を見て、佑介は、昨夜彩島先輩に食べさせてもらった賄いのカレーが思い浮かんだ。あれは病み付きになる味だ。

「一応私はあなたの担当看護婦なんで、ご飯しっかり食べてくださいね?」と優貴菜。

 昨日の賄いと比べてしまった事を見抜いたのか、優貴菜は佑介をにっこりと睨みつけながら、部屋を出て行った。
 真っ白な個室のベッドの上で胡坐を掻いて病院食を食べる。夏休みの思い出企画として、これほどなまでに残念なツアーはこの世に他に存在しないんじゃないかと、佑介は思った。

「はは、ははは、はぁ……何してるんだろ俺……」
―――――ぐぅぅぅうぅう、と間抜けな音が部屋に響き渡る。

(まあ、空腹は最高のスパイスって言うし……) そう思い直した佑介は割り箸を手に取った。

 食べ始めると意外と美味しいという事がわかり、佑介は勢いよく膳の上に載った全ての食材を食べきることができた。最後は米粒一つすら逃さずに、食器をしゃぶり倒した。

「意外とやればできるな、俺……」 病院飯というものを食べたことの無かった佑介は、食わず嫌いというのはいけないなと、当たり前の事を再確認した。

 すると病室の扉が三回優しくノックされた。

「あのー、失礼しまーす……」 前方にある扉が開いて、彩島が現れた。
「えっ、さ、彩島先輩? あ、あの……遅刻してすいませんでしたッテ、いってぇぇ……」

 肩が露出したラフなTシャツ姿の鮮島に佑介は慌てふためき、更に頭を下げた反動で、ひざ上にあった食事用の机に頭を叩きつけた。
「ちょっと、慌て過ぎだよ! 今日はお土産持ってきたんだよ、喜んでくれる?」

 彩島はセミロングの髪を少し茶色く染めていて、服で縁取られた輪郭から判る位にスタイルがよかった。佑介が聞いた先輩の噂では、成績優秀、文武両道、容姿端麗で、全校生徒の憧れの的らしい。そんな先輩が昨日知り合ったばかりの後輩に、お見舞いに来てくれているという事が、佑介には奇跡の様にも思えた。

「二海君大丈夫? 顔がすごく赤いよ?」そう言って彩島は佑介のベッドの方に近寄る。
「いや、だっダイジョウブなんで、あの、はい、熱とかないんで……」
「そう、なの? それならいいんだけど。お土産なんだけどね、ちょっと待ってね」

 そう言うと、彩島は両手で持っていた紙袋からお重の様な物を取り出した。
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アムネシアのリコ(10)
「彩島先輩、それってもしかして――――」「そう、多分その予想は外れてないと思うな!」

 彩島はお重を机の上に置くと、じゃーーーんと言ってその蓋を開けた。

「昨日気に入ってくれた彩島真奈香特製、秘蔵の一品入りスペシャル賄いカレーです!」
「ああああああああ、やっぱりそう来てましたか!」 佑介はベッドから飛び起きる。
「店長がね、病院食だけじゃ物足りないだろうからって、持っていってやれって言われたの」
「店長が? あのー店長怒ってますよね? 相当……」と、さりげなく店長の機嫌を伺う。
「うーん、褒めてたよ? うちの息子と交換したいとか言ってたかも。二海君お気に入りだよ」

 笑顔でそう言う彩島先輩を信じられない訳ではないけれど、佑介はにわかに信じることができなかった。あの怖そうな店長が俺の事をそんな風に言っている事を、想像することができなかった。

「さーさ、早く食べちゃってよ! カレーは温かいうちが一番!」
「あ、はい……いただきます!!」と、さっき夕飯食べたんでと言えない佑介は、がつがつとカレーに食って掛かっていった。さすがの賄いボリューム。食べても食べても底を見せない。

「元気そうで良かったよ……じゃあ、そろそろ家の人から電話がかかってくるから行くね?」
「あっ、ふぁい、ひょうは、ふぅいませんでした本当に……、あとお見舞いありがとうございます……」佑介は口の中の米粒を流し込んで、なんとか重を空にした。
「明日取りに来る予定だったんだけどな、これだと今日持って帰れちゃうね?」

 明日も彩島に会えるチャンスを自分から潰してしまった事を、佑介は膨れ上がったお腹と一緒に呪った。

「また来てもらうのも大変だと思うんで、色々迷惑かけましたし……」
 そっか、と言って彩島先輩は紙袋にお重をしまって、部屋の扉に手をかけた。
「じゃあね。お店で待ってるから、私の手料理食べて元気出して、早く退院してね!」

 寂しそうに部屋を出て行く彩島に、佑介は気づくことはなかった。むしろ今日一日を満点にしてくれる人物の登場人物にただ、心を躍らせていた。
 部屋がまたしてもしーんとする。
 人は静かな部屋にいると、頭の中で色々な事を考えてしまうが、佑介も同じで、ふと頭に浮かんできた、今日の出来事を思い返していた。

「どんな顔してたっけな……」

 自分が助け出した少女。その顔も服装も、何もかも覚えていない。一瞬の出来事だったからというのもあるんだろうが、何も覚えていないことが、更に佑介の興味を誘っていた。

 拓朗。お前の言った通り、一回踏み外したレールからは、なかなか元に戻れないみたいだ。
 佑介はゆっくりと目を閉じた。
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